2019年5月2日木曜日

#3 一つの確たるもの

あなたは今、自分に素直ですか?
こんな人になりたいという人間像(在り方)がありますか?

大人になると、素直さが欠ける。
認める、謝る、勉強する、求める。
生きてきた中で培った知識が、人間関係が良くない方へ転がって素直さが欠けてしまう。
そんなことありませんか?

大人になってもなりたい自分がいますか?
モデルになる人や考え方の人はいますか?
そこへ意識を持って行っていますか?
今がしんどいから「このままでいい」と思っていませんか?

それ、ものすごくもったいないと思います。
何かしらの「きっかけ」や「チャンス」を逃しているかもしれないからです。


素直になるということ


素直になるって実は難しいことだと僕は思います。
本当に素直になれない時は、自分の「ミス」「良くないところ」を認めることになるからです。それは自己肯定感を失うことかもしれません。
しかし、小さい頃「悪いことをしたり、間違っていたら謝りましょう」「謝ってきたら許してあげましょう」と言われませんでしたか?
これって、自分の何かを認めて素直に謝っていることになりませんか?
少し歳を重ねると謝らないということが出てきます。そうなると「あいつなんやねん」「謝った方が良かったな」と思うことがありませんでしたか?
素直になれていない時です。
ここまでのたとえは「ミス」に関して取り上げましたが、それ以外はどうでしょうか。
自分がやりたいと思って進んだこと、進まなかったこと。これによる後悔だってそうかもしれません。
素直になることで心にモヤっとした感情は残るでしょうか?
僕は残らないと思っています。それはその瞬間でもそうですが、それより何十年後になっても残ります。人間関係もそうです。
素直になることで良くなることは本来、小さい頃に教わってきました。でも、それができない。それはなぜなのでしょうか?


「こうありたい」ものありますか?


素直になるかならないかは一種の「格好つけ」だと僕は思っています。
認めることでイメージが変わってしまいそう、プライドが許さない、変わってしまうことが怖い。いろんなものがあって素直になれないんじゃないかって思います。
小さい頃は特にそんなことなかったはずです。成長するにつれ「人の目」が気になり、いろんな人との関係性を持ち、興味を持つことで「人から良く見られたい」の想いが強くなっていくのだと思います。
それって本当にいい事なのでしょうか?
他人の想い>自分の想い
これで自分に素直でいられますか??

僕はこんな時にこそ「こうありたい自分」が必要だと思っています。
「こうありたい」は何でもよくて、僕は
子どもたちとのこの先の関係性
自分の生き方
を考えてありたい自分を持っています。

子どもたちとのこの先の関係性でいうと
「成長していく途中や、した後に些細なことでも何かで僕を思い出し、気軽に連絡が取れる関係性」を目指しています
自分の生き方で考えると
「常に胸を張って楽しんでいる」ことです。

どちらにも共通している想いは
「子どもたちのロールモデルになる」という責任を持っています。

この職業につけとか、この生活をしろってことではなく、「こう生きてほしい」という内面的な部分が大きいです。
僕が関わる子どもが将来、夢を明るく語れなくなっているのは悲しいですし、素直じゃなく、常に周りの顔色を伺っていてほしくありません。大事な時には自分の想いで動く人間でいてほしい。繋がりを、「ご縁」を大切にしてほしい。
その想いがあります。
サッカーのことで言えばもっともっとあります。
サッカーよりも大切なものがあるから僕は素直に生きたいと思っています。

明日も素直な心で子どもとどこかのピッチサイドから!

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